―富田林市富田林―
とんだばやししとんだばやし
大阪府富田林市
重要伝統的建造物群保存地区 1997年指定 11.2ヘクタール
とんだばやししとんだばやし
大阪府富田林市
重要伝統的建造物群保存地区 1997年指定 11.2ヘクタール
大阪府の南部、河内地方に位置する富田林市。今でこそ住宅地として開発され巨大ベッドタウンと化したものの、富田林駅の南側には現在もなお歴史ある町並みが広がっている。整然と格子状に区画された路地に江戸時代からの伝統的な町家が建ち並ぶこの一角は、室町時代末期に形成された一向宗の寺内町である。

寺内町の中心、興正寺別院の鐘楼と鼓楼
富田林付近は古くより南河内の中心地として賑わい、また大坂から紀州和歌山へ通じる高野街道の宿場町として栄えていた。そのような中、戦国時代末期の永禄3(1560)年に京都にある本願寺の脇門跡、興正寺の証秀(しょうしゅう)が石川西側の河岸段丘を購入。周辺の村々から庄屋を集め八人衆とし、その協力を得て興正寺別院を建立、寺内町の形成を行いその地を富田林と名付けた。

大規模な町家が立ち並び、板壁が連なる
それから富田林は、町作りに携わった八人衆による自治のもと、興正寺別院を中心とした一向宗の寺内町として発展していった。東西400m、南北350mの区域を南北六筋、東西七町に区画し、周囲を堀や土塁などで囲んで四ヶ所に門を設け町を守った。織田信長が本願寺を攻めた石山合戦の際には、富田林は一向宗の寺内町でありながら本願寺側に付かず、信長と折り合いをつけ戦火を免れたという。

路地が伸びる
富田林寺内町には今もなお設立当時の町割りがそのままに残っており、江戸時代から昭和初期にかけての町家を数多く見ることができる。中でも目立つのは、寺内町の自治を勤めてきた年寄たちの屋敷である。これらはいずれも規模が大きく、特に巨大なものは一区画をまるまる占める。町家でありながら、大きな土間に居室が隣接するなど、内部は農家型の平面構造が見られるのが特徴的だ。

四層の屋根が特徴的な旧杉山家住宅
富田林寺内町の南部、林町には杉山家という旧家の屋敷がある。杉山家は寺内町の創設に関わった八人衆の一人であり、筆頭年寄を勤めていた。杉山家は室町時代から江戸時代中期にかけては木綿問屋を、それから明治時代中期にかけては造り酒屋を経営して富を築いたという。また、この家は明治末期に与謝野晶子などと共に活躍した明星派の歌人である石上露子(いそのかみつゆこ)の生家でもある。

河岸段丘上に作られた富田林寺内町は、周囲に美しい坂が多い
杉山家は平入の主屋を中心に、3室の別座敷と3棟の土蔵が付随し、庭園も配される大規模な商家屋敷である。これらは天明2〜3年(1782〜1783年)に建てられたことが史料より明らかとなっているが、これは富田林寺内町に現存するものの中で最も古いものであり、国の重要文化財に指定されている。内部は狩野派の障壁画や山水画などで美しく飾られ、また明治時代の螺旋階段なども見ることができる。
2008年6月訪問
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