閑古鳥旅行社(別館)
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与謝野町加悦

―与謝野町加悦―

よさのちょうかや

京都府与謝野町
重要伝統的建造物群保存地区 2005年指定 12.0ヘクタール

与謝野町加悦-01


丹後半島の付け根、天橋立へと注ぐ野田川が作る扇状地、加悦谷。そこは丹後ちりめんの一大生産地として有名な絹織物の里である。その中でも、加悦地区の旧道は現在ちりめん街道と呼ばれ、今もなお江戸時代から昭和初期にかけて建てられたちりめん産業の関連建造物が建ち並び、伝統的なちりめん産業町としての光景を残している。



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かつて城下町として整備されたちりめん街道

かつて加悦は、織田信長により丹後を与えられた細川氏、その重臣有吉将監立言により治められていた。立言は天正8年(1580年)から安良山(やすら)城の整備を開始し、同時に城下町として加悦を整備した。しかしながら、立言は天正11年に病死してしまったため、城下町として機能していたのはわずか3年足らず。それ以降、加悦は丹後と京都を結ぶ交通の要所ということもあって、加悦谷の商工業の中心地として発展していった。



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4代続く料理旅館の井筒屋旅館

加悦では室町時代以前より農業の副業として絹織物が生産されていたが、本格的なちりめん技術がもたらされたのは江戸時代中期のことだ。享保5年(1720年)に丹後峰山の絹屋佐平治が西陣から製織技術を丹後地方に持ち込んだのだが、その後を追うように加悦の木綿屋六右衛門が享保7年(1722年)に手山本屋佐兵衛および米屋小右衛門を西陣に派遣、京都からちりめん技術を持ち込んだ。



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立派なたたずまいを見せる加悦の商家

そうして伝わったちりめん技術は瞬く間に広まり加悦に富をもたらした。それゆえちりめん街道沿いに並ぶ家屋にも立派なものが多い。加悦の民家は切妻屋根の平入、中二階建て。雪対策として道路より1mほど奥まった位置に立つ。白漆喰もよく見られるが、土壁である家も多い。一階正面はかつて織機を置いていた部屋であり、ハタヤマドと呼ばれる腰高窓が付けられるか、もしくは高めの格子窓となっている。



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「縮緬発祥の地」という碑のある杉本家

「縮緬発祥之地」という碑の立つ杉本家もまた、丹後ちりめんで財をなした名家である。敷地内には明治、大正時代に建てられた3棟のちりめん工場、西山工場が現存する。これは大正時代に112人もの職人を抱えていた丹後最大のちりめん工場であった。また、ちりめん街道の中ほどには、代々生糸ちりめん問屋を営んでいた尾藤家の旧宅がある。



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どこからともなく機織の音が聞こえてくる

昭和30年代を過ぎると和装の需要は減り、また海外から安い衣類が入るようになってちりめん産業は衰退していった。かつてちりめん街道沿いには40軒以上の機屋があったというが、今ではわずか6軒の機屋が残っているに過ぎない。その生産量は最盛期の8分の1だ。それでも町を歩いていると、ところどころからガチャン、ガチャンという機織の音が聞こえてきて、ちりめんの里としての情緒を感じさせてくれる。

2007年11月訪問



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