―二条城二之丸庭園―
にじょうじょうにのまるていえん
京都府京都市
特別名勝 1953年指定
にじょうじょうにのまるていえん
京都府京都市
特別名勝 1953年指定
江戸時代の開始と共に築城され、そして江戸時代の終わる大政奉還が行われた地、二条城。その二の丸には書院造の二の丸御殿が建っており、そこから望む西側には見事な池泉回遊式庭園が広がっている。これは江戸時代初期の武将であり文化人でもある小堀遠州が改修を行った庭園であり、その代表作として知られている。

雪景色の二条城二之丸庭園
現在の二条城が形作られたのは江戸時代の初め、徳川家康が上洛時の宿所とすべく建設したものだ。この二の丸庭園もそれと同時に作られた。しかしその後、家康が没し、徳川家光が将軍となった翌年、二条城にて後水尾天皇の行幸を迎えることとなり二条城を改築した。その際、作事奉行に任命されていた小堀遠州は二の丸の庭園も改修、現在見られる庭園に作り上げた。

庭園には全部で4つの橋がかけられている
池泉回遊式庭園である二条城二の丸庭園は、池を中心とし、その周囲を回遊できるようになっている。池には蓬莱島が浮かび、その南側に鶴島が、北側には亀島がそれぞれ配されている。これは中国から伝わった神仙蓬莱思想によるもので、池を海、島を仙人の住む蓬莱山を見立てることで、永遠の繁栄の願いを表しているという。

庭園西北にある二段式の滝組
西北の隅に組まれた滝組をはじめ、二の丸庭園の島々や池畔には、極めて数多くの石組みを見ることができる。池の手前、書院側には汀が設けられているのだが、そこにも大小様々な石が置かれ、庭園の光景にメリハリを付けている。また、かつて池の南側にあった行幸御殿からの眺めのため、遠州は庭園南の石組みにも手を加えている。

二条城二の丸御殿および書院前に設けられた汀
前述の鶴島と亀島も、それぞれ鶴と亀に見えるように石組みが組まれている。蓬莱島の石組みは複雑で、鶴島と一緒に見えるアングルでは亀に見え、亀島と一緒に見えるアングルでは鶴に見えるように石組みが組まれており、どの方向から見ても常に鶴と亀が対となるように工夫がなされている。

庭園には蘇鉄が植えられているが
寒さに弱いため冬の間は"こも"が巻かれている
これらのように、この庭園は一箇所からの眺めだけでなく、将軍の居間である大広間の上段の間、および黒書院の上段の間、そして天皇の行幸のための行幸御殿、そのいずれから見ても素晴らしい眺めが得られるように作られている。そのことから、八方から眺められるという意味を込め、中国古代の諸葛孔明が考案した八陣に例え「八陣の庭」という別名でも呼ばれている。
2008年2月訪問
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