―橿原市今井町―
かしはらしいまいちょう
奈良県橿原市
重要伝統的建造物群保存地区 1993年指定 17.4ヘクタール
かしはらしいまいちょう
奈良県橿原市
重要伝統的建造物群保存地区 1993年指定 17.4ヘクタール
今井町は、もとは中世荘園の環濠集落(周囲を濠で囲い防衛した集落)だった土地に、一向衆門徒が室町時代末期に造りあげた寺内町である。一向衆は本願寺門徒ともいい、鎌倉時代に生まれた仏教の一派である。戦国時代末期には武士と対抗するほどの力を持ち、各地に町を築いて自治を行っていた。

本願寺の僧である今井兵部が開いた称念寺
今井町はこの称念寺を中心に築かれた
今井町もまた、戦国時代には高い軍事力を持っており、他の一向衆と共に一向宗弾圧を行う織田信長と対立していた。しかしながらその後今井町は信長に降伏、すんなりと武装解除を行ったため町は大きな被害を被ることなくそのまま残され、町はほとんど変わることなく今に残されてきた。そのため、今でも今井町では古地図そのままの町割りを見ることができる。

見通しがきかないよう町には食い違い十字路やT字路が多い
今井町は江戸時代になってからも自治権を認められていた。商業に関してもかなりの自由度が認められており、また活発な大阪との交流もあいまって、江戸時代の今井は商業都市として発展を遂げた。それは「大和の金は今井に七分」といわれるほどの繁栄ぶりであった。今井町で発行されていた独自紙幣「今井札」は全国で通用したという。

重要文化財の今西家住宅と復元された環濠
今井町の西端にある今西家の家屋は慶安3年(1650年)に作られた立派な入母屋造建築である。いくつもの棟を持つその独特な構造は「八つ棟造り」と呼ばれ、それは町家というよりも城郭という風格を見せる。かつて今西家は惣年寄の筆頭を担っており、今井町の自治権を委ねられていた。そのため、家屋内部にはお白洲(法廷)や牢獄も備わっている。

重要文化財、上田家住宅
上田家もまた今西家らとともに今井の惣年寄を勤めていた。その住宅は入母屋造りの厨子二階建て、延享元年(1744年)頃の建造と見られている。玄関は路地より2mほど内に入っており、今井町としては珍しい。上田家はその屋号を壷屋というが、屋根の鬼瓦にも壷の図が描かれていておもしろい。

夜の今井町
今井町の重伝建エリアは東西600m、南北310mの環濠跡に囲まれた全域である。その中にある700軒の家屋のうち伝統的建造物は504軒。そのうち9棟が重要文化財の指定を受けている建築である。これほどの質の伝統建築がこれほどの規模の町でこれほどの密度で存在するのは他に無く、まさに日本の最上級の伝統的町並みであると言える。
2007年1月訪問
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